読み比べ-魔術はささやく

宮部みゆきの『魔術はささやく/The Devil's Whisper』は、都内で相次いで起きた若い女性の死の謎を、高校生の主人公・日下守が解き明かしていくミステリーです。ミステリーではありますが、特定のジャンル小説の枠を超えているところが欧米の読者には新鮮に映るようです。以下の記述は、英訳本は講談社インターナショナル刊のハードカバー(2007年出版)、原作については新潮文庫(1999年出版)によるものです。

人の呼び方

日本と欧米の小説で気になる点の一つは、人の呼び方の違いです。守は、一緒に住むことになった従姉の真紀を「姉さん」と呼んでいますが、英語では当然"Maki"です。一方真紀は守を「守ちゃん」と呼んでいますが、英語では"Mamoru"です。二人の年齢はちゃんと文中で出てくるので、どちらが年上かははっきりしています。ただ細かい説明がない場合、ファーストネームだけの会話だと、両者の関係がわからないことがあります。

守の同級生である「あねご」のbrotherであるShinji(伸二)が、守を"Mamoru"と呼ぶので、てっきりあねごの兄だと思ったのですが、日本語で読んでみると弟でした。原作では「日下さん」と呼んでいます。もっとも、あねごが伸二を"brat"(ガキ)と呼ぶシーンがあるので、注意深く読んでいれば伸二の方が年下だと気づいたかもしれません。ただ、特にアメリカの読者の場合、話の筋に関係しない限り、どちらが年上かは別に意識しないのでしょう。

守が、バイト先の上司である高野との会話で、相手を"Takano"と呼び捨てにしているのは引っかかりました。アメリカでは、上司でもファーストネームで呼ぶことが珍しくないようですが、上司の名字を呼び捨てにするというのは聞いたことがありません。訳者がファーストネームと勘違いしたのでしょうか。あるいは、"Mr.Takano"ではよそよそしくてかえって不自然という判断からなのかもしれません。

なお「あねご」というニックネームについては、初めて登場する時に"Big Sis"と説明が付きますが、後はすべて"Anego"で統一されています。こういった言葉は、わざわざ英語のそれらしい単語に置き換えるのでなく、日本語をそのまま使った方が雰囲気が出るという判断なのでしょう。

日本固有の文化

守の高校のバスケット部で起きた盗難事件に関して、「日本の学校の男子運動部には女子の"manager"がいるが、これはむしろ"volunteer maids"のようなものだ」という記述があったのには笑ってしまいました。もちろん、この部分は原作にはなく、英語版の読者に向けた説明です。managerが部員のユニフォームの洗濯をするという記述があるのですが、managerがそこまでするということが理解されにくいからでしょう。

絵画の話に関連して、"tsurusan"という言葉が出てきます。守の同級生が、自分の絵のサインに"tsurusan"を使おうと考えているというのですが、英語で読んだ時はなんのことだか分かりませんでした。原作によれば、これは「つるさんはまるまるむし」のことで、「へのへのもへじ」のようなものだそうです。画像検索すると、なるほどと納得します。説明が難しいところですが、英語では"Kilroy was here."のようなものとでも言えばよいのでしょうか。

砂の器/Inspector Imanishi Investigates』の読み比べでは「おでん」についてふれました。単なる食べ物の名前程度であれば、今はネット上でいくらでも調べることができるので、外国語をそのまま使ってもさして問題はありませんが、「つるさんはまるまるむし」のようなあまりなじみのない言葉については、もう少し配慮があってもいいと思います。

言葉遊び

言葉遊びは訳者泣かせです。特に、辞書にも載っていないような言葉の場合はやっかいです。守はうらぶれた生活をしているルポライターの橋本に会いに行き、帰りがけに次のような質問を投げかけます。

"Well, what are you wrinting about now?"
Hashimoto tilted the whiskey bottle at an angle. "What do you think I'm writing about?"
"Hard to say."
"Same here. My wife left me, you know."
Hasimoto's drunken laugh followed Mamoru out of the house.

英語で読んだ時、この部分には引っかかりました。"Same here."とは相手の言葉に同意したり、境遇に共感したりする表現ですが、橋本は守の何に同意したのでしょうか。また、妻が出ていったことがそれとどう関係してくるのでしょうか。不思議に思いましたが、日本語で読むと合点がいきました。原作にはこう書いてあります。

「今はどんなものを書いてるんですか?」
 ウイスキーの瓶を傾けながら、橋本はにやりと笑った。
「なんだと思う?」
「さあ」
「坊ずと同じさ。女房が出ていっちまったからな」
 外へ出ていく守を、下卑た笑い声が追いかけてきた。

「坊ず(守)と同じものを《書いている》」とは、「マスを《かいている》」という意味でしょう。女房がいなくなった云々という話は、その流れで出てくるわけです。英訳では"drunken laugh"になっていますが、原作の「下卑た笑い声」にはちゃんと意味があるのです。

"Same here."というのは「何を書いているかは、守同様、自分でも言いにくい」という意味で、「仕事ができなくなったので女房も出ていった」というふうにつながるとも解釈できます。訳者は「マスをかいている」の意味に気づかなかったのか、あるいは気づきながら、そのまま訳すのは難しいのでうまく処理したのか、果たしてどちらでしょうか。

まとめ

英語の勉強のためでも、やはり面白くない本は読む気にはなれません。この『魔術はささやく』は、「この先一体どうなるのだろう」という疑問が、ぐいぐい先へ読ませます。宮部みゆきのストーリーテリングの妙です。やはりこれがミステリーの醍醐味で、純文学などではこうはいかないでしょう。

同じミステリーでも、『砂の器/Inspector Imanishi Investigates』とは違い、会話の中にはアメリカの口語がよく出てくるので、なじみがないと戸惑うかも知れません。ただ、携帯電話がない時代とは言え、現代の話なので、日本語でも解釈に困るような古い単語はまず出てきません。

なお、いわゆる描出話法が多用されています。描出話法の部分はイタリックになっているのですぐそれと分かるのですが、注意して読まないと誰の独白なのか混乱するかも知れません。話の筋が複雑で、さまざまな伏線が絡み合ってストーリーを形成しているので、速読ではなく精読することをおすすめします。

魔術はささやく/The Devil's Whisper

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