読み比べ-占星術殺人事件
『占星術殺人事件/Tokyo Zodiac Murders』は、島田荘司のデビュー作で、江戸川乱歩賞の最終候補になりました。名探偵・御手洗潔シリーズはここから始まります。今まで英訳されている日本の小説では、本格推理はそれほど多くはありませんが、これはそのうちの数少ない一冊です。島田荘司の作品で英訳されているのも今のところこの本だけです。
英訳本は、IBCパブリッシングから2004年に刊行されました。以下の記述は、日本語版については光文社文庫(1990年刊)を参照しました。原作はいろいろな版が出ており、その度に改訂が加えられているようですが、英訳が原書のどの版を底本にしたのかはわかりません。そのため、以下の日本語版の記述は底本とは異なっている可能性があることをご承知おきください。
視点の問題
小説を書く時のテクニックにかかわる問題ですが、一人称で書かれた小説の場合、語り手の目から見た世界が描かれるため、語り手についての情報が不足しがちになります。たとえば語り手の顔や外見について、語り手自身が語る機会というのはそうそうありません。
この『占星術殺人事件』では、御手洗の助手の"Kazumi Ishioka"が語り手です。私はこの作品について何の予備知識も持たずに英訳を読み始めたのですが、名前が"Kazumi"で、御手洗も"Kazumi"と呼ぶので、てっきり女性だとばかり思い込んでいました。
ところが途中で、Kazumiが女性心理を知っている云々という話が出てきます。これはおかしいと原作を確認したところ、名前が「和己」となっているので、そこで初めてKazumiが男性だと知りました。
三人称で書かれた小説であれば、全ての登場人物についてheかsheで描写されるので性別を間違う心配はありませんが、この本は一人称で書かれています。日本語であれば、女性言葉があるのでセリフからだけでも男女の区別はつきますが、英語の場合はそうはいきません。
登場人物のリストにも、Kazumi Ishiokaが男性であるという記述はありません。話が進展するにつれ、御手洗と石岡の会話が男同士の気が置けないものであることは読み取れるようになるのですが、"Mr. Ishioka"と呼ばれる場面が来るまでは、石岡が男性であることは明確には語られません。最初の方で石岡の自己紹介があるのですが、翻訳の際にここで石岡が男性であることを補足しておいた方がよかったのではないかと思います。Kazumiが女性に多い名前だということを知らなければ、初めから男性だと思うのが自然かもしれませんが、日本語の知識がある読者はかえって戸惑うのではないかという気がします。
また、石岡も御手洗のことを"Kiyoshi"と呼んでいます。それはいいのですが、地の文でもKiyoshiとなっているのは違和感があります。ワトソンがホームズのことを「シャーロック」と呼ぶようで、何となく落ち着かない気がします。
訳者の工夫
どの作品でもそうですが、翻訳の際に翻訳者はさまざまな工夫をしています。すべて原作通りに逐一訳すのは楽ですが、それでは英語圏の読者に理解できないところが出てきます。その一方で、あまりに外国の読者に迎合した訳では、原作の味がなくなってしまうこともあります。そのバランスを取るのが訳者の腕の見せ所です。
御手洗のセリフに、次のようなものがあります。
「朝というやつは、昨日の、絞りかすだ!」
"Squeeze an orange, and you'll get garbage!"
これは御手洗が興奮状態になるところで、セリフにはあまり意味はありません。原作と読み比べると違いがわかりますが、英訳だけ読んでいると読み飛ばしてしまうところです。"squeeze an orange"とは「甘い汁を吸う」「よいところを取り去る」という意味で、また"squeezed orange"は「利用価値のなくなったもの」「しぼりかす」です。本筋とは関係のない部分ですから、何も工夫せずにそのまま訳してもよさそうなものですが、訳者はあえて手を加え、英語の慣用句に転換しています。おそらくこれは、セリフから受ける唐突な印象を少しでも和らげるためでしょう。
ほかにも訳者はさまざまな工夫をしていますが、時にはその工夫が行き過ぎることもあります。以下は石岡が訪問した明治村での記述です。
女の子の一団が通り過ぎる時、さようならと言った。彼もさようならと返しながら軽く敬礼する。その恰好はなかなか板についていて、本物のお巡りさんのようだった。
"Sayonara," a group of girls were shouting happily, bowing as they left. The policeman―who really did look the part―bowed back.
英訳では、女の子も「彼」もお辞儀をした(bow)とありますが、原作にはどちらもお辞儀をしたとは書いてありません。この「彼」は明治時代の警察官の扮装をしています。日本人だから挨拶の時にはお辞儀をするのが普通だと考えてこう訳したのかもしれませんが、本物っぽく見えるのは、服装だけでなく態度からの印象もあるはずですし、そもそも制服の警察官がお辞儀をするのは変ですから、ここはやはり原作通り"salute"にしてほしいところです。
トイレからの脱出
最初の事件では、アトリエで画家が殺されますが、これは密室殺人です。密室の現場から犯人がどうやって逃走したのかについて、石岡は次のように説明します。
アトリエのどこにも抜け穴はない。トイレの汚物をくぐってという可能性さえ否定された。子供の体でも物理的に無理と結論されている。
There was no other way out, short of the killer diving into the toilet and exiting through the pipes! Also impossible.
ここには微妙なニュアンスの違いがあります。"short of"は「~は問題外として」という意味です。英訳の主旨は「他に出口はない、トイレの穴から逃げたのであれば別だが、そんなことはあり得ない」ということです。ところが原作では、トイレから逃げた可能性を一応は検証しているわけです。
殺人現場となったアトリエは元々土蔵で、事件が起きたのは昭和11年のことですから、このトイレは水洗便所ではなく昔ながらのくみ取り式便所のはずです。くみ取り式であれば、そこから逃げ出すことも絶対に不可能だとは言い切れません。一方英訳では、"through the pipes"とあるので、訳者は水洗便所を念頭に置いているのでしょう。水洗便所の穴から逃げ出すのは、誰がどうやっても不可能です。
おそらく訳者は、原作をそのまま訳すと外国の読者は混乱すると考え、水洗便所を想定した訳にしたのでしょう。犯人がトイレの穴から逃げ出す可能性を警察が検証するというのは、くみ取り式便所を知らない人にとっては理解しがたい話だからです。
もっとも最近では、日本人でもくみ取り式便所を知らない人が多くなりました。若い読者の中には、「トイレの穴から逃げるなんて絶対にあり得ない」と思う人もいるかもしれません。
JLPP
この『占星術殺人事件』は、文化庁が実施しているJLPP(Japanese Literature Publishing Project)というプロジェクトで出版されたものです。「日本の優れた文学作品の海外への発信・普及を推進する」ことがJLPPの目的です(http://www.jlpp.go.jp)。最近流行りの「パブリック・ディプロマシー」の一環と言っていいでしょう。ただその割には、翻訳に明らかな誤りがいくつかあるのは気になりました。
御手洗は、ある人物の錬金術に関する考え方を批判して、次のように語ります。
昔の日本人はよくこんな間違いをやった。たとえば野球を、アメリカ人の精神修養と思ったりね。ここで拙者にヒットが打てねば切腹しておわびを、というのと同じくらいずれてるんじゃなかろうか。
That kind of thinking was typical among the older generation. It's like baseball. When it first came to Japan in the 1880s, people thought it was a way to discipline the mind, American-style, but they went too far. They took it so seriously that if they didn't get a hit, they were ready to commit harakiri.
英訳では、「彼ら(日本人)は野球をとても真剣に受けとったので、ヒットが打てないと切腹をする覚悟をした」とあります。切腹の件は、あくまでも「ずれてる」例として挙げたもので、御手洗は、そういう事実があったと断定しているわけではありません。むしろ、それだけありえないことだと取るのが自然ですが、事実であるかのように訳されています。もしかすると、実際にこのような例があり、訳者はそこまで確認した上でこう訳しているのかもしれません。ただもしあったにしても、極めてまれな事例でしょう。"people"を主語にして、一般化して論ずることができるほど普遍的な発想であったとは到底思えません。野球が1880年代に日本に入ってきたというのも間違いで、実際は1870年代(明治5~6年頃)です。
また、石岡が京都の茶店で飲んだ甘酒を"amazake rice wine"と訳しています。本来の甘酒は、米のかゆに麹を加えてでんぷんを糖化させた飲み物で、アルコール分は含まれません。酒粕を溶いて甘みを加えたものをいうこともありますが、これはあくまでも代用品です。京都の清水寺近くの茶店で出すものですから、これは麹を使った本物の甘酒でしょう。"rice wine"という訳は不適当で、ここは"amazake drink"とでもすべきでしょう。"sweet"を付け加えた方が親切かもしれません。
ちなみに『研究社新和英中辞典』で甘酒を引いてみると、"a sweet drink made from fermented rice"となっています。ところが、『プログレッシブ和英中辞典』では"a sweet alcoholic drink made from fermented rice"となっており、"alcoholic"は明らかに間違いです。『研究社和英大辞典』では"a sweet drink made from fermented rice or sake lees"で、酒粕(sake lees)についても言及しているので、これが一番正確です。
アゾート殺人事件を「桜田門の一課」が担当していたというくだりがあります。桜田門というのはかつての江戸城の城門の一つで、桜田門に面して警視庁があるところから、警視庁の隠語として使われています。この場合は警視庁の本部が捜査を担当していたという意味なのですが、英訳ではこの部分が"Sakuradamon police station"(桜田門警察署)となっています。訳者が「桜田門」の意味を知らなかったのでしょう。
翻訳者とは言え、日本のすべての事物を熟知しているわけではないのですから、知らないことがあっても無理はありません。また人間のすることですから、日本語の読解を間違うということもあるでしょう。そもそも、鬼の首を取ったように誤訳をあげつらうのがこのサイトの目的ではありません。しかし、日本への理解を深めることを目指しているはずのJLPPの出版物で、日本文化に関する誤った訳が通用しているのは残念に思いました。日本人によるチェック態勢が不十分なのではないでしょうか。
まとめ
難易度は中程度というところでしょう。会話にはスラングはほとんど出てこず、文章もすんなり読めます。原作では、冒頭の画家の手記が非常に読みにくい印象を与えるのですが、翻訳では、固有名詞を除けばそれほど難しくはありません。
読み比べてみると、翻訳の際にかなり省略されているところがあります。これは原作と英訳本の厚さを比べただけでもわかります。原作には元々冗漫なところがあるので、それがカットされている分、英訳の方が読みやすいかもしれません。また原作では、御手洗と石岡の会話が交互に延々と続くところがあり、読んでいるうちにどちらのセリフなのかわからなくなることがあります。英語の小説では、くどいくらいに"he/she said"を入れるのが普通で、この翻訳でも、原作ではセリフだけの行に"Kiyoshi said."や"I replied."と挿入されているところがあります。その分、原作より多少は読みやすくなっています。
本格推理ですから、トリックを知らないで読んだ方が楽しめるのは確かです。ただ、トリックを見破ろうと集中して読んでも、結局事件とは何の関係もなかったというところが少なくないので、はぐらかされたような気になるかもしれません。
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