読み比べ-羅生門

ここでご紹介するのは、Penguin Classicsの一冊、Rashomon and Seventeen Other Stories(Jay Rubin訳)です。芥川龍之介の「羅生門」を始めとする短編集で、2006年出版のペーパーバックです。芥川龍之介は何度も翻訳されていますが、これは一番新しい訳です。この本に収録されている作品は以下の18点です。今まで英訳されたことがない作品も多く含まれています。

羅生門/藪の中/鼻/竜/蜘蛛の糸/地獄変/尾形了斎覚え書/おぎん/忠義/首が落ちた話/葱/馬の脚/大導寺信輔の半生/文章/子供の病気/点鬼簿/或阿呆の一生/歯車

欧米で高い評価を受けた、黒沢明監督の映画『羅生門』は、芥川龍之介の「藪の中」を中心にして、「羅生門」の内容を一部取り込んだものです。この翻訳のタイトルにRashomonを使っているのも、映画のRashomonの知名度が高いせいかも知れません。

訳者自身の解説と、村上春樹による解説、さらに年表が添えられています。また、英語圏の読者には難しい単語が多いため、詳しい脚注がついています。一般的な単語だけでなく、芥川龍之介自身や、作品についての解説も豊富です。

歴史用語の訳

単語はかなり難易度の高いものが使われています。時代背景が古いものでは、当然ながら歴史用語が多く登場します。"quiver"(箙[えびら]=矢の収容具)、"Mencius"(孟子)、"bannerman"(旗本)、"palanquin"(駕籠)など、文学や歴史の専門家ならともかく、普通の英語学習者がこうした単語を覚えてもあまり意味はないでしょう。

ただ、歴史用語の中には、文脈の中で何となく想像がつくものも少なくありません。たとえば、"Winter Siege of Osaka Castle"は「大坂冬の陣」、"Junior Councilor"は「若年寄」、"House Elder"は「家老」といった具合です。

一方、日本語でも難しい言葉の訳を、「地獄変」に出てくる地獄絵の描写の中から拾ってみましょう。

束帯のいかめしい殿上人、五つ衣のなまめかしい青女房、珠数をかけた念仏僧、高足駄を穿いた侍学生、細長を着た女の童、幣をかざした陰陽師――一々数へ立てゝ居りましたら、とても際限はございますまい。

A courtier in magnificient ceremonial vestments, a nubile lady-in-waiting in five-layered robes, a rosary-clutching priest intoning the holy name of Amida, a samurai student on high wooden clogs, an aristocratic little girl in a simple shift, a Yin-Yang diviner swishing his paper wand through the air: I could never name them all.

「青女房」とは、「年若く物馴れない、官位の低い女官」(『広辞苑』)です。一見したところでは「若い」が訳されていないようですが、"nubile"には「性的魅力のある」のほか、「年頃の」という意味があるので、よく考えられた訳語が使われていることがわかります。

「細長」という衣服を"shift"(シフトドレス)と訳している点については、私はどちらも見たことがないので、この訳が適切なのかどうかはわかりませんが、訳すのにずいぶん苦労したであろうことは伝わってきます。ここで"aristocratic"とわざわざ付け加えているのは、細長は貴族の女子が着る衣服であるためでしょう。実に細かい配慮です。

「陰陽師」が"Yin-Yang diviner"というのはうならされました。「幣(みてぐら)」とは、この場合は御幣(ごへい)のことで、木や竹の幣串(へいぐし)に紙を挟んだものです。したがって、厳密に言えば"paper wand"という訳は正確ではないようにも思いますが、まあこれは細かすぎる指摘でしょう。

いずれにせよ、このあたりの芥川の筆は圧巻というほかありません。細かい単語の意味など抜きにして、文章を味わうだけで十分なのかも知れません。

中には、英語の方がわかりやすいという単語もあります。たとえば、「藪の中」には「放免」という人物が登場します。放免とは、検非違使庁で犯人の逮捕や護送に使われていた元囚人のことで、岡っ引きのようなものです。これは"policeman"と訳されているため、英語の方が断然わかりやすいはずです。また「尾形了斎覚え書」などは元の文章が候文なので、日本語で読むより英語の方が理解しやすいかも知れません。

英語に入った日本語

英語に入った日本語としては、"tsunami"が有名で、この本にも登場しますが、その他にも日本語がそのまま使われている例が多数あります。中でも、"hibachi"が脚注抜きで使われているのには驚きました。Merriam-Webster's Collegiate Dictionaryを見てみると、"hibachi"の項には"a charcoal brazier(火鉢)"とあり、語源は日本語、初出は1863年とあります。既に江戸時代に英語に入っているわけです。ただし英語の"hibachi"は、日本の火鉢のような暖房器具ではなく、料理器具を指すようで、むしろ「七輪」に近い使われ方をしているようです。その他、"tatami mat"、"shoji"なども日本語がそのまま使われています。このあたりの言葉も説明はもう不要なのでしょう。また"koku"(石)については、脚注でその意味を説明した上でそのまま使われています。

また、妙な"harakiri"などではなく、"seppuku"が使われているのはいい訳だと思います。ただし、"seppuku"はやはりそのままでは理解されにくいようで、訳の中で補足されています。"seppuku"が登場するのは「忠義」の中です。乱心した旗本の板倉修理は、彼を押込め隠居にしようとした家老の前島林右衛門を憎み、修理の乳人をしていた田中宇左衛門という老人を呼んで、林右衛門を縛り首にするよう命じます。それに対して宇左衛門は、縛り首は穏便ではないとたしなめ、次のように言います。

武士らしく切腹でも申しつけまするならば、格別でございますが。

Ordering him to slit his belly open like a true samurai would be another matter, however.

このように、わざわざ"slit his belly open"と説明をし、その後で初めて修理の台詞として"seppuku"が出てくるのです。"seppuku"はまだ一般的な言葉ではないのかも知れませんが、あえてこうした工夫をしてまで、正確な"seppuku"という言葉を用いる訳者の姿勢には敬意を表したいと思います。

まとめ

芥川龍之介の作品は、実際に読んだ経験はなくても、話の筋は知っているということが多いと思います。その点では、ストーリーを追うのに困ることは少ないはずです。

ただ、時代設定が古いものでは、仏教用語など、出てくる単語があまりにも特殊過ぎて、一般的な英語学習には向きません。もっとも、設定が新しい「或阿呆の一生」や「歯車」などであれば、それほど単語に戸惑うことはないでしょう。

あまり一般的にはおすすめできませんが、芥川龍之介のファンや、歴史物に興味があるという人なら挑戦してみる価値はあるでしょう。

羅生門・蜘蛛の糸/Rashomon and Seventeen Other Stories

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