読み比べ-時をかける少女

筒井康隆の『時をかける少女/The Girl Who Leapt through Time』の連載が「中学三年コース」で始まったのは、昭和40(1965)年のことです。実に40年以上前の作品ですが、今でも若い人たちに大変人気があります。ライトノベルの先駆けとも言える作品で、原作(角川文庫新装版)の後書きにもある通り、今ではもう一種の古典の範疇に入るかもしれません。何度も映画化されており、テレビドラマやマンガにもなっています。

日本の読者には今でも人気の『時をかける少女』ですが、英語版は、Amazon.comのレビューを見る限りでは、★が3つとあまり評価が高いとは言えません。Amazon.co.ukに至っては★2つ半です。短すぎるという感想や、アニメ版の『時をかける少女』とは違うという書き込みが散見されます。どうやら、アニメと同じ話だと勘違いして読んだ人が少なくないようです。アニメ版を見た後で読んだ人がほとんどでしょうから、それと比較すると余計評価が辛くなるのかもしれません。英訳版の裏表紙には、"For all the lovers of the award-winning anime The Girl Who Leapt through Time"と書かれています。これだけ見れば、アニメと同じ話だと思うのも無理はないでしょう。アニメ版との違いについて、わかりやすい説明があればよかったと思います。

もっとも日本の読者であれば、ストーリーは知っているはずですから、こうした感想は出てこないと思います。ただ、日本人でも若い読者の中には、アニメを見た後で初めて本作品を読んだという人も多いかもしれません。

翻訳本は、イギリスの出版社Alma Booksから2011年に出版されています。英語版には、ほかに「悪夢の真相」が収録されています。以下の記述は、日本語版については角川文庫(2006年刊行)を参照しました。

評価の違い

日本で人気があるからと言って、英訳版が外国の読者にも同じように人気になるとは限らないのが難しいところです。日本人読者と英語圏読者の評価の違いは、一体どこから来るのでしょうか?

Amazon.comには「子供の小説のようだ」というレビューもありますが、実際、もとは中高生向けに書かれた話なので仕方のないことです。英訳本にも、ちゃんと裏表紙に「YOUNG ADULT」の表示があります。キャラクターの描き方に深みがないという指摘もありますが、短編である以上、そこまで求めるのは酷というものでしょう。短編であったがゆえに、その後映画を含むさまざまな作品の土台となり得る余地があったとも言えます。なんと言っても、この作品なくしてはアニメも存在し得なかったわけですから、英訳版が低い評価にとどまるのは惜しい気がします。

評価の違いの背景には、いわゆる「学園もの」に対する受け止め方の違いがあるように思います。学園に異世界(あるいは未来、宇宙)から来た少年(少女)が現れ、そして去っていくというのは、ライトノベルやマンガでは一つのパターンと化していますが、「時をかける少女」は、その原点とも言える作品です。しかも、そこにはかすかなロマンスの香りもあります。日本の読者は、「時をかける少女」からその「型」を読み取って安心するのに対し、英語圏の読者は、本格的な小説と同じものを期待して読む分だけ、期待とのギャップが大きくなるのではないでしょうか。

低評価の背景には、翻訳そのものに対する評価も含まれているようです。Amazonのレビューには、文章がぎこちないとの指摘がありますが、残念ながら、英語ネイティブでない私にはそこまで読み取るほどの読解力はありません。ただ、地の文で、"as if"という意味で"like"を使っているのは気になりました。辞書では、この用法は「非標準的用法」ということになっています。言葉の選択が単調なこともあり、こういうところが子供っぽいという印象を与えるのかもしれません。その他、細かいミスもいくつかあります。主人公・和子の心中を描いた描出話法の部分で、meとすべきところをherにしている点が一箇所あります。また「悪夢の真相」では、主人公のMasakoの名前が、なぜか二箇所だけMarikoになっています。

改変の意味

日本語の原作をとことん忠実に翻訳した英訳本というのは、それほど多くないと思います。たいていの翻訳本では、何らかの改変が加えられているものです。意図的なものもあれば、おそらく訳者が自分でも気がつかないうちに改変を施している場合もあります。この「時をかける少女」では、次のような例があります。

「おおい、芳山くん、帰ろう。君のカバンを持ってきてやったよ!」
 吾朗が大声でガラガラと教室のとびらを開きながらはいってきた。

"Come on, Kazuko. Let's go!" called out Kazuo.
"We've got your bag here!" Goro added in a loud voice as he pushed open the door to the main lab.

深町一夫と朝倉吾朗が理科室に入ってきた時のことです。原作では吾朗一人のセリフが、翻訳では一夫と吾朗二人のセリフに変えられています。さらに、ここでは注意して読まないと気づかない変更が加えられています。原作では「ガラガラと」扉を開けたというのですから、この扉は当然引き戸でしょう。一方英訳では、"pushed open the door"と、扉を押して開けているので、開き戸を開けたことになります。

日本の扉は、ふすまや障子に見られるように、引き戸が伝統的な開閉方式です。最近の洋式の家ではそうとは限りませんが、小・中・高の校舎では、教室の扉はたいてい引き戸です。アニメ版の『時をかける少女』でも、問題の理科室の扉は引き戸になっています。一方欧米では、押すか引くかして開ける開き戸が普通です。欧米式にあわせた方がわかりやすいと訳者が判断したのか、あるいはそこまで考えずに、扉を開けるのなら押して開けるものだと訳者が単純に思い込んでこう訳したのかはわかりません。ですが、日本の学校の構造を知っている読者なら、ここで疑問に思うはずです。ちなみに、文部科学省の「中学校施設整備指針」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shisetu/001/toushin/03082202/005.htmでは、「出入口の建具は,引戸とすることが望ましい」と規定されています。これは非常時の避難のしやすさや、安全性を考えてのことでしょう。

法律や規則を抜きにしても、学校の教室の扉と聞いて多くの日本人が思い浮かべるのは、黒板消しを挟むというお約束のいたずらができる引き戸でしょう。教室の扉一つにも、さまざまな学生時代の思い出が結びついているものです。日本の小説を読む外国人にも、そこまで理解してもらいたいと考えるのは望み過ぎでしょうか。英語圏の読者で、ここまで気づく人はごく少数だとは思いますが、ここはやはり"slid open the door"として欲しかったと思います。

英訳することで問題になる点

英訳すると、原作では全く問題にならなかったことが思わぬ問題になることがあります。この作品の主要登場人物の名前は、「和子」と「一夫」です。日本語では間違える心配はまずありませんが、英訳では"Kazuko"と"Kazuo"の一字違いなので、外国の読者は読んでいるうちにどちらがどちらだかわからなくなることがあるようです。男の名前と女の名前の区別も付かないのが普通でしょうから、余計混乱するのでしょう。日本人である私自身、読んでいて何度か取り違えました。ややこしいことに、KazukoとすべきところをKazuoと誤植しているところもあります。というわけで、世界進出を目指す小説家の方は、日本語で書く段階から、こういう点にも気をつけておいた方がよさそうです。

まとめ

英文はやさしく、単語の難易度も低めなので、高校生でも十分に読めると思います。またなんと言っても短編ですから、英語の本が初めてという人でも苦労せずに読み通せると思います。ただ、ある程度英語の能力がある人は、物足りないと思うかもしれません。原作を読んだことのない人にもおすすめですが、昔読んだという人にも、「タイム・トラベラー」を見ていた世代の人にも、もう一度英語で読んでもらいたい作品です。私自身、懐かしく読み返しました。

時をかける少女/The Girl Who Leapt through Time

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