読み比べ-坊っちゃん

坊っちゃん/Botchan』は言わずと知れた夏目漱石の代表作です。漱石の作品の中でも高い人気を誇っています。中学生や高校生の時に読んだという人も多いことでしょう。軽い文体で主人公の権威への反抗を描いた『坊っちゃん』は、英語圏の読者には、『ハックルベリー・フィンの冒険』や『ライ麦畑でつかまえて』を連想させるようです。ここでご紹介するのはJoel Cohnという人の訳で、講談社インターナショナルから出版されています。以下の記述はハードカバー(2005年出版のFirst edition)を元にしています。

あだ名の訳し方

この作品の魅力の一つは、登場人物に与えられたあだ名です。訳者も、わざわざ前書きの中でそれぞれのあだ名について説明しています。あだ名はどのように訳されているのでしょうか。

まず「うらなり」は"Pale Squash"、または"Squash"です。squashはカボチャやウリの仲間の総称です。訳者は「うらなりの唐茄子」を"the pale squashes that grow right at the tip of the vine when the plant is past its prime"と訳しています。

原書では、「うらなり」の意味については特に説明していません。坊っちゃん自身もその意味を知らず、清に聞いても教えてくれなかったとあります。ところが英訳では、「盛りを過ぎた時につるの先になった実」と、その意味を正確に説明しています。私自身、「うらなり」が具体的にどのようなものか理解していませんでしたが、英訳を読んで初めてその正確な意味を知りました。

「野だいこ」は"Hanger-on"、または"Hanger"です。"hanger-on"は「取り巻き」「腰巾着」という意味です。そもそも「野だいこ」とは、内職にたいこ持ち(幇間)をする者で、そこから転じて、芸もなくただ座敷を取り持つだけの幇間を卑しんで言う言葉となりました。他の訳者による訳では"Clown"(道化師、ピエロ)としているものもありますが、"Clown"より"Hanger-on"の方が原作のイメージをよく伝えていると思います。もちろん欧米には幇間のような職業はないため、訳者は前書きの中で「野だいこ」の意味について説明しているのですが、なぜかこの説明は野だいこではなく普通の幇間についてのものです。

校長の「狸」は、厳密に訳せば"Raccoon Dog"ですが、この本の訳は"Badger"(アナグマ)です。訳者によれば、タヌキは普通"badger"と訳されるそうです。タヌキは日本の民俗文化の中では特別な意味を持った動物で、『坊っちゃん』の中でも、タヌキにまつわる伝承に関係する表現が登場します。

狸は大方腹鼓を叩き過ぎて、胃の位置が顛倒したんだ。

「月夜にぽんぽこ腹を叩くタヌキ」は、日本人にとってはおなじみのものですが、もちろん英語圏の人間には何のことだかわかりません。訳者はこれを、実に巧妙に処理しています。

That Badger must have been beating his chest so hard that he knocked himself senseless.

"beat one's chest" は文字通りには「胸を叩く」ということですが、これは悲しみや怒りを大げさに表す身ぶりで、そのほか「得意そうに弁じる」という意味もあります。「タヌキの腹鼓」を英語の慣用句にうまく転換しているわけです。

『広辞苑』には、タヌキは「とぼけた顔をしながら他人を欺くこと。また、その人。」とあります。校長の「狸」というあだ名にはもちろんその含意があるわけですが、"badger"には動詞で「人をしつこく悩ませる、困らせる」という意味があります。原作の「狸」から来るイメージとは少し違ったものになっています。

漱石ならではの言葉使い

漱石は独特な言葉使いをする作家で、この作品の中にもそうした彼ならではの表現があふれています。

相変らず空の底が突き抜けた様な天気だ。

The sky was just as wonderfully clear as it had been the day before.

「空の底が突き抜けた様な天気」というのもおもしろい表現ですが、これは"wonderfully clear"とその意をくんだ訳にしています。その他、「愚迂多良童子(ぐうたらどうじ)」や「腑抜けの呆助」などという言葉もよく訳しています。

また、各所で連発される洒落も『坊っちゃん』の魅力の一つですが、この翻訳にも苦心の跡が見られます。坊っちゃんが赤シャツと野だいこと一緒に釣りに出た時のことです。坊っちゃんが釣り上げた魚は「ゴルキ」という種類でした。

ゴルキが露西亜の文学者で、丸木が芝の写真師で、米のなる木が命の親だろう。

All right, so a goruki is a Russian novelist, Maruki is a photographer's studio back in Tokyo, and a door key gets you into your house.

「露西亜の文学者」とは「ゴーリキー」のことです。英語で読んだ時、なぜここで唐突に"door key"が出てくるのかわからなかったのですが、原書を読み返してみて初めてこれが韻を踏んだ洒落なのだとわかりました。ここは"rookie"を使えばよかったのではないかと思いますが、いかがでしょう。

翻訳できないもの

さて、こうした翻訳者の努力にもかかわらず、翻訳では伝わらないもの、あるいは翻訳できないものが存在します。まず、『坊っちゃん』というタイトルそのものがそうです。訳者は前書きで「坊っちゃん」の意味について説明していますが、英語には同じニュアンスを伝える言葉はありません。そのため、『坊っちゃん』には3人の訳者による訳が出ていますが、いずれもタイトルは「Botchan」です。

また、翻訳しにくいものには、方言も挙げられます。この作品の中でも伊予弁は大きな役割を果たしています。特に象徴的なのは、文の後につける「……な、もし」という言葉です。これは坊っちゃんの東京弁と対比をなしており、セリフに何とも言えないおかしみを与えています。これを訳すのは大変ですが、訳者はこの問題をどうやって解決したのでしょうか?

おもしろいことに、英文の最後にそのまま"na moshi"を付け加えたのです。アメリカ文学の日本語訳では、黒人の英語に「おらは……へ行っただ」というような、どこのものとも知れぬ方言をあてる翻訳がかつてはよく見られました。逆に日本語から英語に翻訳する場合、日本語の方言を南部の黒人英語に訳すという手法もあり得るわけですが、訳者はそうした安易な手法を取らず、あえて日本語をそのまま使ったわけです。

舞台となっている日本のイメージを壊すことなく、なおかつ方言の雰囲気を出すためにはどうすればいいか。そう考えた上での訳者苦心の策と言えます。日本語をそのまま使っているとは言え、やはりこれも立派な翻訳と言えるでしょう。

まとめ

漱石の作品には、今では理解しにくい語彙が少なくありません。現在出版されている漱石の本には、たいてい脚注が付いています。それでも訳者は、実によく調べて翻訳しています。「三河万歳」のようにあまり一般的ではない言葉なども、その解説を脚注に頼ることなく、本文中でうまく説明しています。「三七日の断食」は、そのまま「さんじゅうしち日」と読んでしまいそうですが、これは「さんしち日」と読み、3×7で21日という意味です。これについても、英訳では"a three-week fast"と正確に訳しています。

その他、それぞれの登場人物のセリフの違いにも注目です。特に職員会議での野だいこの発言は、中身のないbig wordの連続で、まさに"bombast"の典型です。坊っちゃんの歯切れの良さとは対照的です。

坊っちゃんのセリフの中でも、特に注目していただきたいのは、次の啖呵です。あえて英訳は記しませんので、ぜひ翻訳本に当たって確かめてみて下さい。ただし、ここに出てくる英単語を覚えても、あまり使う機会はないかも知れません。

「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モモンガーの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云うがいい」

主人公が語るという形式なので、地の文もほとんどが口語体で、小説にありがちな複雑な構文はあまり出てきません。単語は若干難易度が高いかも知れませんが、『坊っちゃん』を日本語で読んだことのある人なら、知らない単語が出てきてもたいてい想像が付くと思います。『坊っちゃん』の英訳本は複数存在しますが、訳が洗練されていることから、この版をおすすめします。

坊っちゃん/Botchan

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